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女生勿看!日本哲学私语——化妆的女性

日本通·2012-07-07 10:47:35·文化
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摘要:哲学就是质疑世间一切,将除自己之外的事物以自己为基准进行思考,将相对变为绝对,彻底理解事物真理——By日本某哲学家

化粧する女
 私は、女心を理解出来ないという事には人後に落ちない自負がある。例えば化粧である。女というものは何故に化粧を好むのであろうか。口紅が上手く引けたなどと一人悦に入っている様は哀れにさえ思う。何故なら、女は化粧をする事で図らずも一つの証明をしてみせているからである。「自分はかように不細工な存在なのである」と。その証明のためにまず、すっぴんの女性をα、化粧品をβ、化粧した女性をγと定義する。そこで、
 α×β=γ
の図式が成り立つ。故に、
 α≠γ
である。そこで「αとγとではどちらが美しいか」という相対的比較を行う。通常ではγの方が美しいのであり、また女はその為に懸命に化粧をするのである。だがしかし、「αとγとではどちらが美しいか」は「αとγとではどちらが醜いか」という問いと同義なのである。即ち、一つの解を証明することで同時に他方の解を証明できるのである。翻って女はおしなべて大きな勘違い――「化粧をしてもしなくても自分は美しい」――をしているようだが、その定義を証明してみせる為には、
 α=γ、但しα≠0かつβ≠0
であることを、または
 α≠γではないこと、但しα≠0かつβ≠0
であることを証明してみせなければならない。考えられる証明方法は一つ、
 β=1
でなければならない。即ち、化粧する事に意味をもたらさないことを示しているのであり、論理が根本から破綻してしまうのである。故に女は自分がかくも醜い存在であることを証明するために懸命に化粧をしているのである。これを哀れと呼ばずして何と呼ぼう。

 男は化粧した女に対して「綺麗になったね」と褒めそやし、また女はその言葉に舞い上がってしまうものである。僕にはそんな女の心理というものが理解できない。先も証明してみせたが、「γが綺麗であること」は即ち「αが醜いこと」と同義なのである。然からば
 「綺麗になったね」
と同軸をなす言葉は
 「醜くなくなったね」
である。故に男が「化粧をしていない貴女はブスなんだね」と言っても女は同じように喜ぶのである。よもやその言葉に怒り出すような女などいるまい。否、いてはならないのである。しかし何が悲しくてブスであることを褒めなければならないのであろうか。否、女に堂々とブスだと言ってあげるのが男の義務というものなのである。真実を告げることを恐れてはならない。例えその為に刃傷沙汰にまで到ろうとも、真実のために死ぬのは本望なのである。

 或いは女は既に悟ってしまっているのかもしれない。おのれのすっぴんの顔が如何に醜いかを。だからこそ、嘔吐感を催さんばかりのその醜悪な顔を化粧で誤魔化しているのだ。それならそれで哀れなことである。違う、それは違うのだ。女よ、聞くがいい。例え類人猿と見まごうばかりの顔であったとしても、目が二つ鼻が一つ口が一つ存在するのを確認出来るのがやっとな程の顔であったとしても、実は女はそれを以てご同慶の至りとすべきなのだ。何故なら女は本来の存在以上に醜くならないし、またなれないからである。聞け、すっぴんの女よ。現在の貴女は花なのだ。野に咲く名も無き花。道行く男の足を止めておのれの存在を以て魅了せしめる美しき花。考えてみるがいい。そもそも花が美しいのは何故なのか。化粧をしているからなのか。それは明らかに違うのである。ありのままの存在が美しいのである。それと同じ事なのだ。化粧をすると言うことは、花びらに絵の具でカラフルに塗ってしまうに等しい。化粧する女は、おしなべてその悪趣味な色合いの花にこそ美しさを感じるという常軌を著しく逸脱した審美眼を有していると断言してよい。そしてその女が世間の大勢を占めていることに私は大いに憂悶するのである。

 女のすっぴんの顔を世間から覆い隠して何の意味があろうか。その行動は詐欺行為そのものだと激しく指弾してよいであろう。化粧をすると言うことは男に対して嘘をつくことなのだ。しかし何ところりと騙される男の多いことか。私を含めて。すっかり騙されてしまった男は、メッキが剥がれ落ちた女の顔に対して自殺したくなる程の失望を感じることでその報いとなるであろう。その時が何時来るかは私の関知するところではない。ドキドキの新婚初夜が一瞬にして暗転しようともそれはおのれの責任なのである。既に引き返すことの叶わぬ処にまで到ってから後悔しても遅いのである。薄く口紅を引くぐらいならまだ許せようが、鈴木その子ばりに漆喰を顔全体を塗りたくってしまった、またはイカの沖漬けのように顔を醤油色に染めてしまった女に対して私は憤りを通り越して憐れみを禁じ得ない。もし私の彼女――そもそも彼女のいない私がそういう事を思惟するのは明らかに間違っているのだが――が、化粧をしてきたとしたら、私は彼女を柱に縛り付けてサンポールと便器清掃用ブラシでその化粧を落としてあげなければならない。その上でこう言うのである。「私が美しいと思うのはすっぴんの貴女なのだよ」と。また、私にしつこく言い寄られて困っている女は、是非とも原型を留めないほどの厚化粧をすべきである。それこそが最善の自衛手段なのだ。私は、食材の本来の味わいを生かした料理が食べたいのであって、化学調味料をふんだんに用いた体に悪い料理は御免蒙りたいからである。

 女よ、白粉を捨てよ。すっぴんのままで町へ出よう。私はそんな女に美しさを見出したいのだ。その本来の美しさを讃えて曰く――
 「喜んでくれ、私は貴女を辛うじて女であることを認識できるのだ」
と。

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